4月某日 ゴールデンウィークを前にして、相俣の逆さ桜や相俣ダムのダムサイドの赤谷湖記念公園の桜が満開です。
この逆さ桜は戦国時代に越後の大将上杉謙信が、持っていた杖を地面に刺したら、その杖が芽吹いて、桜になったと言う伝説が伝わっています。
逆さ桜を見てまず驚くのは、その樹の太さです。伝説どおりですと16世紀に植えられた桜の樹は、400年以上経っていることになるのですが、それにふさわしい太さです。
また花の色が、ダムサイドの桜に比べてピンクの色が濃く、なまめかしい雰囲気が漂ってきます。
いずれにしても長い年月を活き続けて来たことは間違いなく、旧三国街道を行き交う旅人から、自動車で通り過ぎる現代人まで、沢山の人々が眺めて来た逆さ桜です。
春日山城跡の近くには謙信公が幼少の頃、修行したと伝えられる林泉寺があります。
簡素な山門は春日山城にあったものを移築したと言われ、城に残る唯一の遺構と言うことになります。
宝物殿には謙信公ゆかりの毘沙門天の旗などの遺品が残っています。
境内の左手奥の墓地には、謙信公やその父長尾為景、能景の墓石とともに、上杉氏の跡に入部した堀氏の墓石やその後の松平、榊原氏の歴代藩主の墓石も眠っています。
春日山城跡や林泉寺の境内にはカタクリの花が沢山咲いていました。
城跡の範囲は非常に広大なもので、林泉寺から更に北東に城跡広場を言う区画があり、ここも堀や土居に囲まれた城の一部でした。
現在は堀や土居は復元され、土居の上には木柵も復元され、戦国時代の有様を忍ばせてくれます。
4月某日 上越市の春日山城跡に行ってまいりました。
場所は北陸自動車道の上越インターチェンジからものの10分ほどの山の中です。
この像は春日山神社の近くの駐車場を見下ろす崖の上にあります。
甲冑に陣羽織、頭巾をかぶった重厚なつくりのブロンズ像は、本拠地であったここから、戦に向かおうとする上杉謙信公の雰囲気を良く、伝えています。
春日山城は、謙信公の死後、上杉氏が会津に移された後に入った堀氏が、直江津港に近く便の良い福島城を築いて移った際に取り壊されたと言われています。
謙信の活躍していた時代にはまだ石垣は発達しておらず、土を掘って空堀とし、掘った土を盛り上げて土居を築いたものですが、春日山城は建物こそ残っていませんが、この堀や土居が残っています。また、山のところどころが平らに削られて、建物が立てられたと言われ、そういう跡が山中によく保存されています。
よく整備された山道を頂上めざして歩いて行くと、このような坂道を戦国時代の人は甲冑を着けてよく登れたものだ、と単純に思いました。もちろんそれは非常時のことで、日頃は麓の屋敷で生活していたわけです。
山頂近くに、毘沙門堂が復元されてありました。謙信公はここに籠って、合戦の前に祈祷をささげたと言われています。しかし、常の居館からここに来るのもかなりの距離があり、毘沙門堂も居館の近くにあったと考えるのが、妥当だと思いました。もし、麓の居館からここに毎日通っていたとすると、謙信公は山伏的な体力と信仰心に厚い武将であったと思われます。

こちらの盛り付けもきれいでした。食べ散らかすのが、もったいない(笑)。

4月9日月曜日 今日はお料理が余ってしまい、夕食をお買い上げして家族4人で頂きました。写真はお造りです。板長作ですが、芸術品ですねー。

4月6日金曜日 旅先で訪れた小山市の城跡公園の桜です。 栃木県南部は戦国時代の遺跡の宝庫です。

中庭の梅が咲きました。

4月7日土曜日 足尾から群馬に入り、トイレ休憩で寄った水沼駅です。この駅には温泉が引いてあり、お風呂もあります。
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