« 典厩寺ー武田信繁の墓所3 | メイン | 花寺吉祥寺 »
永禄4年(1560年)の川中島の合戦では武田・上杉両軍合わせて6千人の戦死者が出たと伝わっている。
その戦死者の鎮魂に幕末の松代藩主真田幸貫が合戦三百年の記念殿として閻魔堂を建設し、閻魔大王を建立し、万延元年(1860年)に三百年祭の大法要を行い川中島の合戦で戦死した群霊の冥福を祈った。
しかし単に戦死者の群霊の鎮魂であるならば、死者を裁く閻魔大王をまつるであろうか。その力にすがりたい目的があったように思えてならない。
このページのトラックバックURL:http://app.kazelog.jp/t/trackback/14179/6977300
典厩寺ー武田信繁の墓所4を参照しているブログ:
名前:
メールアドレス:
URL:
この情報を登録する
コメント:
コメント