8月某日
目にも鮮やかな、紫色の朝顔が花壇に咲いていました。
5月某日
猿ヶ京温泉満天星の湯の駐車場のかたわらに花時計がある。この駐車場のある場所は前は見晴館と言う旅館が立っていたところで、その旅館を取り壊してこの満天星の湯が立てられた。見晴館時代のなごりは駐車場の片隅に昔の庭園のあとの庭石と祠があるところにわずかにしのぶ程度である。かつてはそこに池があった。鯉も泳いでいたのではないだろうか。旅館の玄関は駐車場から階段を一段上がった所にあり、そのロビーの建築はモダンな感じがした。私が猿ヶ京に戻ってきてから一度も見晴館で宴会などの利用をしたことはなかった。
GWウィークの最盛期を迎えた赤谷湖は、なんとか水も満水になり行楽シーズンの体裁を整えた感がある。普通のオフシーズンに関してはいつも6~7部の湖水で済ましているが、GWには最高の晴れ姿で行楽客の目を楽しませてくれている。今年は記録的な暖冬で、雪解け水独特の酸素を多く含んだコバルトブルーの湖水と言うわけにはいかず、このような澄んだ真っ青な色ではじめから満水の状態であるというのも珍しいことではないか。またつい2~3日前まで丸坊主のようだった周囲の山の木々の様子もここに来ていっせいに新芽が芽吹き始めた。
これから梅雨時の数ヶ月は赤谷湖は年間で一番美しい姿になる。その後夏季に入ると下流域のためにダムの水は減る一方となる。ダム湖の宿命として仕方ないわけではある。ダムの名前自体は地名を取って相俣ダムと命名された。湖の方も「相俣湖」となるところ、猿ヶ京温泉から異論が出たため、河川の名前を取って赤谷湖と命名されたと言う。現在ダムサイドのほとりには、湖に突き出した形で展望台が設けられている。そのの一角に「日本ダム湖百選」と言う石碑が建てられている。平成17年に指定されたとのことだ。湖の規模のわりにダムの大きさが小さいのは、赤谷川の非常に狭隘な渓谷を利用してこのダムは建てれているからである。昭和30年に完成しているが、すぐさま水漏れが表面化し、水漏れ防止の工事を何年かかけて完成させている。したがってダム自体は長さはあまりないのだが、使用されたコンクリートの量は相当なものになっていると思われる。
4月某日 ゴールデンウィークを前にして、相俣の逆さ桜や相俣ダムのダムサイドの赤谷湖記念公園の桜が満開です。
この逆さ桜は戦国時代に越後の大将上杉謙信が、持っていた杖を地面に刺したら、その杖が芽吹いて、桜になったと言う伝説が伝わっています。
逆さ桜を見てまず驚くのは、その樹の太さです。伝説どおりですと16世紀に植えられた桜の樹は、400年以上経っていることになるのですが、それにふさわしい太さです。
また花の色が、ダムサイドの桜に比べてピンクの色が濃く、なまめかしい雰囲気が漂ってきます。
いずれにしても長い年月を活き続けて来たことは間違いなく、旧三国街道を行き交う旅人から、自動車で通り過ぎる現代人まで、沢山の人々が眺めて来た逆さ桜です。
きっちりと観た訳ではない紅白歌合戦の終了後、猿ヶ京の氏神様の神明神社まで歩いて行きました。神社に到着寸前にカウントダウンが始まり、路上で迎えた2007年でした。
神明神社の石段を息を切らしながらなんとかはい上がると沢山の人たちが、初詣に来ていました。今年の年越しは天気がよかったこともあり、集まった人たちも「こんなに人がいるなんて・・・」と驚いていました。
お賽銭を投げ、手を合わせると大人には、お神酒が振舞われます。破魔矢を買い、おみくじを引きました。結果は吉。商いは「利益を追うことなく、公益重視。」だそうです~
恒例の太々神楽と餅撒きを見ることなく、早々に神明神社を退散し、帰宅。ためておいた温泉に浸かり、就寝しました。早々に初詣を済ますとすがすがしくていいですね。