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「なから」感動する本

最近聴いてんの・・・

2004.02.15~18バリ島

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    2004.02.15~02.18と4日間、インドネシアのバリ島に研修旅行で言ってきました。実質3泊でしたが、ウブド・コマネカリゾート2泊、ヌサドゥア・アマヌサ1泊と言うスケジュールでしたが、アマンリゾートのアマンダリ、アマンキラ、フォーシーズンホテルのサヤンなど代表的なスモールラグジャリーホテルを見学することもできました。極めてまじめな研修旅行でした。

春日山城跡に立つ上杉謙信公の像2

この向きからならお分かりか?

春日山城跡の近くには謙信公が幼少の頃、修行したと伝えられる林泉寺があります。

簡素な山門は春日山城にあったものを移築したと言われ、城に残る唯一の遺構と言うことになります。

宝物殿には謙信公ゆかりの毘沙門天の旗などの遺品が残っています。

境内の左手奥の墓地には、謙信公やその父長尾為景、能景の墓石とともに、上杉氏の跡に入部した堀氏の墓石やその後の松平、榊原氏の歴代藩主の墓石も眠っています。

春日山城跡や林泉寺の境内にはカタクリの花が沢山咲いていました。

城跡の範囲は非常に広大なもので、林泉寺から更に北東に城跡広場を言う区画があり、ここも堀や土居に囲まれた城の一部でした。

現在は堀や土居は復元され、土居の上には木柵も復元され、戦国時代の有様を忍ばせてくれます。

春日山城跡に立つ上杉謙信公の像

このお方は?

4月某日 上越市の春日山城跡に行ってまいりました。

場所は北陸自動車道の上越インターチェンジからものの10分ほどの山の中です。

この像は春日山神社の近くの駐車場を見下ろす崖の上にあります。

甲冑に陣羽織、頭巾をかぶった重厚なつくりのブロンズ像は、本拠地であったここから、戦に向かおうとする上杉謙信公の雰囲気を良く、伝えています。

春日山城は、謙信公の死後、上杉氏が会津に移された後に入った堀氏が、直江津港に近く便の良い福島城を築いて移った際に取り壊されたと言われています。

謙信の活躍していた時代にはまだ石垣は発達しておらず、土を掘って空堀とし、掘った土を盛り上げて土居を築いたものですが、春日山城は建物こそ残っていませんが、この堀や土居が残っています。また、山のところどころが平らに削られて、建物が立てられたと言われ、そういう跡が山中によく保存されています。

よく整備された山道を頂上めざして歩いて行くと、このような坂道を戦国時代の人は甲冑を着けてよく登れたものだ、と単純に思いました。もちろんそれは非常時のことで、日頃は麓の屋敷で生活していたわけです。

山頂近くに、毘沙門堂が復元されてありました。謙信公はここに籠って、合戦の前に祈祷をささげたと言われています。しかし、常の居館からここに来るのもかなりの距離があり、毘沙門堂も居館の近くにあったと考えるのが、妥当だと思いました。もし、麓の居館からここに毎日通っていたとすると、謙信公は山伏的な体力と信仰心に厚い武将であったと思われます。

軽井沢万平ホテルの外観

 旅行の途中で軽井沢の万平ホテルに立ち寄り、コーヒールームでサンドウィッチを摘まみました。こちらは箱根富士屋ホテル、日光金谷ホテルと並ぶクラシックホテルです。若だんなはいつも泊まりは温泉旅館なので、こういった洋風ホテルではお茶や買い物で利用するくらいです。ハーフサンドウィッチセットがおすすめです。

日高市巾着田の曼珠沙華2

日高市巾着田の曼珠沙華2

思ったより人も出ていて、とても月曜日の早朝とは思えない賑わいです。

それにしても「ヒガンバナ」から連想されるのは、この世に対しての彼岸な訳ですから、あの世と言う意味もあり。なんとなく、この世ではないところを歩いているような気がしてくる巾着田曼珠沙華公園でした。これで人手が閑散としていたら、こわい気がします。

日高市巾着田の曼珠沙華1

日高市巾着田の曼珠沙華1

9月25日埼玉県の日高市の巾着田曼珠沙華公園に午前中行って来ました。関越道鶴ヶ島ICを降りると直ぐに案内が出ており、気になっていたのですが、今回初めて訪れました。巾着田とは、高麗川の流れが蛇行して上空から見て巾着のように形成された地域です。駐車料500円。入園料200円。公園維持のためにはやむを得ない徴収です。

曼珠沙華とは彼岸花(ヒガンバナ)の別名で、天上の花と言う意味です。

巾着田には早咲きの群生地と遅咲きの群生地の二つが分かれており、高麗川の流れに沿ってこの二つの群生地が広がっています。

薔薇ジュースーもっと健康に美しく!

斎藤ホテルさんの朝食の時、同行のF氏に勧められてお付き合いして飲んだ薔薇ジュース。F氏によれば、化粧品のような匂いのしない上品な味だそうです。私にはその辺の微妙な味わいは分からないのですが、すっきりと飲ませていただきました。

鹿教湯温泉の五大橋2

五大橋の由来が書かれているプレート。近くに同じ模様のスタンプが用意されていました。

鹿教湯温泉の五台橋

9月某日、若だんなは「仕事」で長野県の鹿教湯温泉にある斎藤ホテルさんに行って来ました。「仕事」とは、まだシークレットなのですが・・・。

ところで斎藤ホテルからすぐ近くの渓谷にかかっている橋は「五大橋」と言って、鹿教湯温泉のシンボル的な存在です。

アメリカ映画「マジソン郡の橋」はクリントイーストウッドとメリルストリープが共演した映画でしたが、その橋がこのような屋根のかかった木橋だったので、「日本のマジソン郡の橋」と言われた時期もありました。

鹿教湯温泉は、朝のわずかな時間だけ散策したのですが、温泉街の辻辻にベンチがふんだんにおいてあり、滞在客がちょっと小休止するのにとても便利になっていました。(この辺はお年寄りの原宿と言われる東京巣鴨の刺抜き地蔵の商店街に通ずるものがあるようです。)またコインランドリーが街中にあったり、大きなスーパーがあったりして、湯治客が長期滞在する環境が整っています。温泉地には華やかさはありませんが、駘蕩とした雰囲気が漂っておりました。

斎藤ホテルの社長さんの話では、病院が出来た関係でここでは風俗営業が許可にならず芸者衆は昔から居なかったそうです。そういうこともあり、湯治場の雰囲気が守られているのだと若だんなは思いました。

草津温泉の地蔵の湯

ホテルにチェックインして夕食までに時間があったので、子供とコンビニへの買出しを兼ねて、新しくなったと聞いていた「地蔵の湯」をのぞいて見ました。

石のお地蔵様鎮座するお堂の前に温泉が湧き出して、卵が腐ったようなにおいがしています。そこには湯の花が溜まっていて、ちょっとしたミニ湯畑になってます。眼病に効くと説明書に書いてあったと子供に言われましたが、酸が強い温泉で眼を洗うのはいかがなものでしょうか?

20060407174315_2草津温泉の地蔵の湯

浅間山の雄姿

浅間山の雄姿

たまにはどこかに連れて行け、と妻と子供と犬一匹で一泊旅行に行ってきました。犬はキャバリアで中型犬なのですが、この時期草津温泉に何軒か犬を同伴出来る宿があったのでそこに決めました。

午前10時には出発するところ、今日締め切りの仕事が何本も入り、出たのは11時を過ぎていました。既に腹を空かせた家族はご機嫌斜め。そこで前橋でおりてマリーザで昼飯を食べさせておなかを落ち着かせてから軽井沢に向かいました。前橋インターに乗る途中で敷島公園や前橋公園の「幸の池」の満開の桜を眺めながらドライブできたのは「幸運」でした。軽井沢はプリンスアウトレットモールの新しく出来たところを一時間ほどぶらぶらして、それから草津温泉に向かいました。

この写真は軽井沢から草津へ向かうハイウェーで撮りました。逆光でしたが、浅間山が眼の前に迫ってきて、「もし○火したら・・・」とつい思ってしまいました。