カッパ地蔵安泰祈願祭ー1
平成17年7月31日午前11時から、猿ヶ京カッパ広場において、カッパ地蔵への祈願祭が行われました。わたしも新治村観光協会副会長として参列しました。このカッパ地蔵は切り絵師の石田良介先生のデザインによるものです。石田先生は失われ行く、東京上野谷中の風景を切り絵に残し、谷中の活性化につくしている人で、沼田高校出身の方です。
カッパ地蔵は最初は一人?だけだったのですが、後に3人?加えられて4人家族になりました。名前もおとうさんが新太郎(慎太郎の方が団塊の世代には受けるかも・・・もしや、あの中村タマオ旦那のことか?その当時は☆ンツに○やくを忍ばせてたが・・・)、お母さんが治子(と言う思い浮かぶのは加藤治子)、長女が温子(これは浅野温子の影響か?)、長男が泉!(川古のあにやんや、法師、猿ヶ京にも多い名前です。)合わせて「新治温泉」と言う、公募したとしては出来すぎの、出来レースで決まったような名前です。
「だいたい菩薩様に名前をつけて良いのだろうか?(^^;」
地蔵菩薩と言うことで、仏式で祈願祭は行われました。この一年、水難事故からの無事を祈りました。新治村としては、これが最後の祈願祭になりました。
このカッパ地蔵のもとになった話しは、相俣の笛木操さんから、うちのおかみが採話した「河童のくすり」と言うお話です。
http://www.sarugakyo.net/kamishibai/furoku/furoku2.html
ご参考まで。
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