春日山城跡に立つ上杉謙信公の像
4月某日 上越市の春日山城跡に行ってまいりました。
場所は北陸自動車道の上越インターチェンジからものの10分ほどの山の中です。
この像は春日山神社の近くの駐車場を見下ろす崖の上にあります。
甲冑に陣羽織、頭巾をかぶった重厚なつくりのブロンズ像は、本拠地であったここから、戦に向かおうとする上杉謙信公の雰囲気を良く、伝えています。
春日山城は、謙信公の死後、上杉氏が会津に移された後に入った堀氏が、直江津港に近く便の良い福島城を築いて移った際に取り壊されたと言われています。
謙信の活躍していた時代にはまだ石垣は発達しておらず、土を掘って空堀とし、掘った土を盛り上げて土居を築いたものですが、春日山城は建物こそ残っていませんが、この堀や土居が残っています。また、山のところどころが平らに削られて、建物が立てられたと言われ、そういう跡が山中によく保存されています。
よく整備された山道を頂上めざして歩いて行くと、このような坂道を戦国時代の人は甲冑を着けてよく登れたものだ、と単純に思いました。もちろんそれは非常時のことで、日頃は麓の屋敷で生活していたわけです。
山頂近くに、毘沙門堂が復元されてありました。謙信公はここに籠って、合戦の前に祈祷をささげたと言われています。しかし、常の居館からここに来るのもかなりの距離があり、毘沙門堂も居館の近くにあったと考えるのが、妥当だと思いました。もし、麓の居館からここに毎日通っていたとすると、謙信公は山伏的な体力と信仰心に厚い武将であったと思われます。
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