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「なから」感動する本

最近聴いてんの・・・

2004.02.15~18バリ島

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    2004.02.15~02.18と4日間、インドネシアのバリ島に研修旅行で言ってきました。実質3泊でしたが、ウブド・コマネカリゾート2泊、ヌサドゥア・アマヌサ1泊と言うスケジュールでしたが、アマンリゾートのアマンダリ、アマンキラ、フォーシーズンホテルのサヤンなど代表的なスモールラグジャリーホテルを見学することもできました。極めてまじめな研修旅行でした。

謙信公「お立ち飯」ー弁当4

0704151_091 熊笹の包みの中には、栗おこわと白米に紫蘇のふりかけをふったおにぎりが一個づつ入っていました。

謙信公「お立ち飯」ー弁当3

0704151_089 中をひらくとこの様になっています。謙信公の旗印「毘」の文字の紙包みのん中は「塩」です。謙信公が武田信玄に塩を送ったとする話「敵に塩を送る」の故事にちなんでいます。

謙信公「お立ち飯」ー弁当2

0704151_088 駅弁の表紙にはお坊さんの姿でありながら軍を指揮する軍配をもった謙信公が描かれています。

謙信公「お立ち飯」ー弁当1

0704151_087 直江津駅の名物駅弁、「謙信公お立ち飯」です。

この日は強風で電車が動かず、駅の構内は電車の遅れであせっている人々であふれていました。

この駅弁は改札口を入った所で売っていて、わざわざ入場券を買って入り、買いました。

お立ち飯とは謙信公が戦争に出る前に兵士達に振舞った豪華なご馳走のことです。

浜善光寺4

0704151_086 正面から見た十念寺(浜善光寺)。

一方、武田信玄も善光寺の本尊を甲斐の国に持ち帰り、そこに善光寺を立ててしまいました。

由緒あるご本尊を持っていかれた謙信公は悔しかったのでは、ないかと思います。

その御本尊、信玄死後、武田家の滅亡の後は豊臣秀吉が一時確保していたともきいていますが、現在は元の長野市の善光寺に収まっているようです。

その遍歴を探ってみるのもまた面白そうです。

浜善光寺3

0704151_085 門の脇に、「信州善光寺大本願別院」とあります。

浜善光寺2

0704151_084 十念寺のお堂にかかる「浜善光寺」の額です。

浜善光寺1

0704151_083 現在の十念寺はかつて、謙信公が信州の善光寺の僧達をこの本拠地の越後の府中に移した場所にあたります。

日本海の浜辺に近かったので、浜の善光寺とも言われていました。

御館3

0704151_082 御館公園の遠景です。今はこの四角い公園の区画にかつての館の広さを想像するしかないのです。

御館の乱は上杉景勝、直江兼続主従の勝利に終わり、敗れた上杉三郎は鮫ヶ尾城で自刃し、その前にこの御館は攻められて焼け落ちました。

御館2

0704151_081 公園の車止めにはめこまれた「御館公園」のレリーフ。

ここは上杉三郎に味方した、上杉憲政(のりまさ)が、北条氏に本拠地だった上州の平井を追われ、謙信公に保護され、上杉の姓と関東管領と言う役職を譲り、余生を送っていたとこrではありますが、謙信公の跡目争いに憲政も巻き込まれ、景勝の家来に殺害されてしまいます。