MLB2006 日本人メジャーリーガーの群像 夢を追い続けて~斎藤・大塚の一年~
1月6日の深夜に放送された「MLB2006 日本人メジャーリーガーの群像 夢を追い続けて~斎藤・大塚の一年~ 」は最高に面白かった。
横浜ベイスターズのエースとして活躍した斎藤隆は故障もあり、ここ数年間はかつての剛速球はなりを潜めていた。先発しても、セットアッパーとしてもチームを勝利に導く場面は極端に減ってきていた。
2006年、かつて野茂や石井が在籍した西海岸の名門チーム、ロサンゼルス・ドジャーズと契約した斎藤隆は開幕までにドジャーズのベンチ入りを果たせなかった。
一方、3年前にメジャーのサンディェゴ・パドレスの一員になった大塚晶則は、二年間念願のクローザーの座を射止めることが出来なかった。パドレスのクローザーはメジャーでもセーブ数の最高記録を持つ右の豪腕、トレバー・ホフマンがずっと務めていた。大塚はそのホフマンに繋ぐセット・アッパーがその役目になっていた。
2006年、大塚はトレードでパドレスからテキサス・レンジャーズに移籍した。レンジャーズにも既にリリーフエースは居て、大塚の役割は従来通りのセットアッパーと思われていた。
2006年の開幕前に大塚はWBCに出場、王ジャパンの貴重なクローザーを務めた。そしてその奇跡的と言われた決勝のキューバ戦、その優勝の瞬間に大塚はマウンドに居た。そしてその球状は大塚が2年間を過ごしたパドレスの本拠地ペトコ・パークだった。大塚は決勝戦の前にトレバー・ホフマンに電話して、もし決勝戦で投げる機会があったならば、ホフマンの投げるときに球場に流れるテーマソング「ヘルズ・ベル」を自分が使うことを許可して欲しいと頼んで承諾を得ていた。ペトコ・パークに駆けつけたサンディェゴの野球ファンは「ヘルズ・ベル」に送られて登板した大塚に温かい声援を送った。そして大塚は決勝戦のマウンドで胴上げ投手に輝いた。
4月7日にドジャーズに中継ぎ投手に怪我人が出て、斎藤はメジャーに昇格した。9日のインディアンズ戦に初登板した斎藤はワンアウトランナー1、2塁と言う場面を自らの好フィールディングでダブルプレーで切り抜けた。
それ以降、斎藤は中継ぎで好成績をキープ、夏前には故障のリリーフエース、ガニエの変わりにドジャーズの押さえを任された。決め球のスライダーは全盛期の切れを取り戻し、ストレートの球速は150キロ後半を数えた!
レンジャーズのクローザーも不調で、大塚にそのお鉢が回ってきた。大塚はそのチャンスを見事ものにし、テキサスのクローザーにのし上がった。テーマ音楽はもちろん、ホフマンから譲り受けた「ヘルズ・ベル」だった。
斎藤は地区優勝がかかったパドレス戦で、1点ビハインドの場面で投入されたが、3失点してリリーフに失敗、ダグアウトで頭を抱え込んだ。しかし、チームの打撃人は奮起、次の回、4打席連続ホームランと言ううそのような奇跡がおきて、延長戦もガルシアパーラのサヨナラホームランでドジャースは勝利した。そして、数日後プレーオフへの進出を決めた。その試合の最後のマウンドに居たのはもちろん斎藤だった。
大塚のチーム、レンジャーズはプレーオフ進出はならなかった。でも大塚は30を超えるセーブを記録し、念願だったメジャーのクローザーの座をつかんだ。
斎藤の属したドジャーズはプレーオフを通過してワールドシリーズに進むことは出来なかった。でも斎藤はここ数年にない充実感を味わった。
夢をつかんだ二人の日本人ベテランピッチャーを描いた秀逸のドキュメンタリーだった。
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