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「なから」感動する本

最近聴いてんの・・・

2004.02.15~18バリ島

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    2004.02.15~02.18と4日間、インドネシアのバリ島に研修旅行で言ってきました。実質3泊でしたが、ウブド・コマネカリゾート2泊、ヌサドゥア・アマヌサ1泊と言うスケジュールでしたが、アマンリゾートのアマンダリ、アマンキラ、フォーシーズンホテルのサヤンなど代表的なスモールラグジャリーホテルを見学することもできました。極めてまじめな研修旅行でした。

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山本勘助ー風林火山の登場人物その1

NHK大河ドラマに決まった「風林火山」は武田信玄に仕えた山本勘助が主人公なのだが、長らく山本勘助は実在が疑問視されていた。よく歴史雑誌にある「武田二十四神将図」に山本勘助は下の方にちょこんと描かれている。

最近の研究では山本勘助の実在を裏付ける文献が発見されたこともあり、実在は有力となっているが、「軍師(参謀)」と言うほどの重要人物であったかは疑問である。

一般的に1561年(永禄4年)の第四回川中島の合戦は、山本勘助の「きつつきの戦法」を上杉謙信が見破り、妻女山を駆け下った上杉軍が八幡原で待つ武田信玄の陣に突撃し、前半戦は有利に戦いを進めたと言われている。そして、山本勘助は作戦の失敗の責任を取り、自殺的な戦死を遂げたと言う。この辺が今回のドラマのハイライトになってくるのだろう。

1541年(天文11年)武田信玄は重臣と結託し、父親の信虎を甲斐から駿河に追い出し、武田家の当主になると兵を北の信濃に向け、領土を拡張していった。甲斐の国は国土も狭く、地味もやせていたが、信濃からの産物の流入により潤った。この辺の事情は「雑兵たちの戦場」に詳しい。この時代はどの地方も慢性的名飢饉状態に見舞われていたので、侵略した他国からもたらされる農産物、日用品、また連れてこられた人間はその国を豊かにした。また、戦場は農閑期の出稼ぎに近い感覚で受け取られていた。山本勘助もその侵略の家庭で武田信玄に召しかえられた新参の家来で、だからこそ身分が低く、武田二十四神将図でも下の方に描かれているのである。

風林火山」は1961年に、東宝配給の映画になったこともある。その時は山本勘助は三船敏郎、武田信玄は萬屋錦之介、上杉謙信は石原裕次郎だったと思う。豪華なキャストで緒方拳なども出演していたと思う。ただ評価はいまいちのようだ。この映画でもクライマックスは第四回川中島の戦だった。

1990年の角川映画「天と地と」は海音寺潮五郎の小説「天と地と」を原作とする映画で、武田信玄は津川雅彦、上杉謙信は当初渡辺謙が勤めるはずだったが結局代役として榎木孝明が努めた。だった。その当時としては空前の興行収入を上げたと聞くが、主役が途中降板したせいで、評価は芳しくない。この点は勝新太郎が途中降板して、仲代達矢にかわった黒澤明の「影武者」もそうだが、残念でならない。また蛇足ながら謙信の恋人役那美を浅野温子が演じたのは原作を知る者としては首をかしげる。

「天と地と」は1969年にNHKの大河ドラマにもなっていて、このときは主人公の上杉謙信は石坂浩二、武田信玄が高橋幸治だった。この大河の「天と地と」は当時はビデオが貴重品で繰り返し使われたために、残念ながら全体を通したビデオが残っていない。

同じ大河ドラマでも新田次郎原作の1988年の「武田信玄」が武田信玄が中井貴一、正室の三条が紺野美沙子、側室の湖衣姫が南野陽子、ライバルの上杉謙信が柴田恭平と言うキャストで撮られている。こちらはNHKエンタープライズからビデオも出ている。

今回の「風林火山」は山本勘助、武田信玄、上杉謙信のトリプル主人公のような扱いになるのだろう。その辺も心配と言えば心配だ。なお、原作者の井上靖は1907年5月6日生まれで、2007年は生誕100年に当たっている。NHKの土曜ドラマの第一回は山岳小説の最高傑作といわれている「氷壁」で井上靖原作。過去放映された「武田信玄」の原作者は新田次郎でこちらは山岳小説家として知られている点も奇妙な符合と言えるかもしれない。

風林火山公式ホームページ↓

http://www.nhk.or.jp/taiga/index.html

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