武田信繁ー風林火山の登場人物その2
NHKドラマ「風林火山」の主人公、山本勘助が仕えた武田信玄。幼少の頃からから父信虎と仲が悪かったらしい。父信虎は同じ大井夫人との子で次男の信繁を愛し、武田家の跡は弟信繁に継がせたかったらしい。武田信玄の兄弟はこの弟信繁ともう一人、肖像画の名人と言われた逍遥軒信廉の二人が有名だ。この三人はよく似ていることから、信繁と信廉は信玄の影武者をよく務めたと言われている。特に弟信廉が信玄の影武者を務めたことは有名で、信玄の死後も影武者として信玄のように振る舞い、しばらくは他国の間者にも見破られなかったらしい。黒澤監督の映画「影武者」では、仲代達矢が弟信廉役を好演している。
さて、弟信繁の方は父信虎の寵愛を受けながらも、父信虎が駿河に追放された後も兄信玄を盛り立て、よき補佐役として歴史家から高い評価を受けている。左馬助を名乗ったので、中国風に「典厩」と言われていた。その辺はドラマでどのように描かれるか楽しみだ。ドラマで信繁を演じるのは大衆演劇の嘉島典俊で、猿ヶ京温泉のでんでこ座三国館の名誉館長だ。
弟信繁は1561年の第四回川中島の戦いで戦死するのだが、ある文献だと兄信玄の身代わりになって死んだとか、はじめから兄信玄の影武者の格好をして、討ち取られたとも言われている。子供の信豊も信玄の子勝頼の補佐役として滅亡まで武田家に尽くしている。
伝世している「武田二十四神将図」には一番上に信玄、直ぐその下に武田逍遥軒信廉、親族の穴山信君(梅雪)、武田四郎勝頼が描かれているが、典厩信繁の姿はない。最終的に勝頼を裏切り、武田家滅亡後は徳川家康に仕えた穴山信君がナンバー2の位置に描かれ、親子二代に渡って武田家に貢献した信繁親子の姿が見えないのも間尺に合わない話だ。
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