« 2007年3月 | メイン | 2007年5月 »
かまぼこの表面には謙信公の旗印「毘」も文字が染め抜かれています。
さらにその下には、越後名物の笹団子も添えられていました。
熊笹の包みの中には、栗おこわと白米に紫蘇のふりかけをふったおにぎりが一個づつ入っていました。
中をひらくとこの様になっています。謙信公の旗印「毘」の文字の紙包みのん中は「塩」です。謙信公が武田信玄に塩を送ったとする話「敵に塩を送る」の故事にちなんでいます。
駅弁の表紙にはお坊さんの姿でありながら軍を指揮する軍配をもった謙信公が描かれています。
直江津駅の名物駅弁、「謙信公お立ち飯」です。
この日は強風で電車が動かず、駅の構内は電車の遅れであせっている人々であふれていました。
この駅弁は改札口を入った所で売っていて、わざわざ入場券を買って入り、買いました。
お立ち飯とは謙信公が戦争に出る前に兵士達に振舞った豪華なご馳走のことです。
正面から見た十念寺(浜善光寺)。
一方、武田信玄も善光寺の本尊を甲斐の国に持ち帰り、そこに善光寺を立ててしまいました。
由緒あるご本尊を持っていかれた謙信公は悔しかったのでは、ないかと思います。
その御本尊、信玄死後、武田家の滅亡の後は豊臣秀吉が一時確保していたともきいていますが、現在は元の長野市の善光寺に収まっているようです。
その遍歴を探ってみるのもまた面白そうです。
門の脇に、「信州善光寺大本願別院」とあります。
十念寺のお堂にかかる「浜善光寺」の額です。
現在の十念寺はかつて、謙信公が信州の善光寺の僧達をこの本拠地の越後の府中に移した場所にあたります。
日本海の浜辺に近かったので、浜の善光寺とも言われていました。
御館公園の遠景です。今はこの四角い公園の区画にかつての館の広さを想像するしかないのです。
御館の乱は上杉景勝、直江兼続主従の勝利に終わり、敗れた上杉三郎は鮫ヶ尾城で自刃し、その前にこの御館は攻められて焼け落ちました。