猿ヶ京どんど焼
どんど焼はお正月に飾った門松や松飾りなどを持ち寄り、盛大にお焚き上げする
地域の祭です。
夕方に行うところもあるようですが、猿ヶ京はいつも午前9時から行います。
準備の人は7時半から出ていて、甘酒や焼餅の準備をしています。
餅は近くの小屋の中で炭火焼にし、黄な粉餅と磯部巻きにして来場した人に
お配りしています。
どんど焼は地域の人の厄除けも同時に受付ています。今年は男女合わせて9名の
方が参加しました。
若だんなも8時過ぎから参加しました。
どんど焼はお正月に飾った門松や松飾りなどを持ち寄り、盛大にお焚き上げする
地域の祭です。
夕方に行うところもあるようですが、猿ヶ京はいつも午前9時から行います。
準備の人は7時半から出ていて、甘酒や焼餅の準備をしています。
餅は近くの小屋の中で炭火焼にし、黄な粉餅と磯部巻きにして来場した人に
お配りしています。
どんど焼は地域の人の厄除けも同時に受付ています。今年は男女合わせて9名の
方が参加しました。
若だんなも8時過ぎから参加しました。
12月某日
12月16日に放送を終えた「風林火山」は男性配役に実力者を揃え、見ごたえのある戦国ドラマでした。
猿ヶ京の名づけ親、ガクトさんが演じた上杉謙信の描かれ方が余りにも話題性重視だったところが?
ではありましたが。
猿ヶ京ゆかりの嘉島典俊さんが、信玄の弟、信繁を兄思いの繊細な人物として演じたのは好感が持てました。
最終回で謙信の姉「お仙」が、謙信の無事を願って、わが子「喜平次」と仏壇に手を合わせるシーンがありましたが、この「喜平次」が後の上杉景勝で、再来年の大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続の主君で謙信亡き後の上杉家に振りかかる苦難を直江とともに乗り越えていくドラマです。
わざわざこのシーンを入れたのは、再来年の大河ドラマ「天地人」へのバトンタッチの意味もあったと思います。
猿ヶ京温泉の猿ヶ京は上杉謙信が名づけたと言う伝説がありますが、その時に謙信にこれは良い夢だと言う、直江山城守と言う家臣が出てきます。この直江山城守が直江兼続のことです。
と言うことは、猿ヶ京の名前は謙信と直江の合作と言うことになります。
この逸話をどれだけ理解して貰って、宣伝できるでしょうか。
8月某日
家人の誕生日を山形県の国産スパークリングワイン
「キュベ・ヨシコ」で祝いました。
蔵王ワイナリーで作られたこのスパークリングワインは
本場シャンパーニュに劣らない泡立ちと気品を湛えたワインです。
それでいて、キュウリに味噌を付けたのも良く合います。
フリュートグラスが「モエ・エ・シャンドン」のものなのが、ご愛嬌・・・
8月某日
目にも鮮やかな、紫色の朝顔が花壇に咲いていました。
8月某日晴れ
同じ敷地内でも、ユリの咲く時期は微妙にずれています。
このユリはいつも最後にさきますが、北向きの日が当たらない花壇にあります。
8月某日晴れ
月夜野のベイシアで、犬用の蚊取り線香を購入。
素晴らしい絵柄に思わず、シャメ。
観光の名所になっており拝観料もきちんと取る。季節の花々が売り物である。 庭園は見事だが、石仏、石塔のたぐいが豊富である。 それらは優品だけに絞り込んだほうが、わたしの好みではある。
5月某日晴れ 利根郡川場村の吉祥寺は九州豊後の戦国大名、大友氏の創建と言われている。
五月某日
上毛高原駅近くの小川城跡の付近の畑の中に7体の地蔵菩薩を周囲に従える石塔を発見した。ちょっと見た限りでは碑文は見当たらず、制作年代もはっきりしない。
何らかの供養塔と思われるが、謎の石塔である。
5月某日
猿ヶ京温泉満天星の湯の駐車場のかたわらに花時計がある。この駐車場のある場所は前は見晴館と言う旅館が立っていたところで、その旅館を取り壊してこの満天星の湯が立てられた。見晴館時代のなごりは駐車場の片隅に昔の庭園のあとの庭石と祠があるところにわずかにしのぶ程度である。かつてはそこに池があった。鯉も泳いでいたのではないだろうか。旅館の玄関は駐車場から階段を一段上がった所にあり、そのロビーの建築はモダンな感じがした。私が猿ヶ京に戻ってきてから一度も見晴館で宴会などの利用をしたことはなかった。
5月某日
新聞によりますと、再来年2009年のNHK大河ドラマは標記の通り、
直江兼続を描いた「天地人」に決定したと言う。
以下(某新聞記事による)
09年大河は「天地人」直江兼続を描く
NHKは4月26日、09年の大河ドラマを「天地人」に決めたと発表した。
上杉景勝(かげかつ)の家臣で、戦国時代に「義」の精神を貫いた
名将、直江兼続の波乱の生涯を描く。原作は火坂雅志さんの同名小説
で、脚本は連続テレビ小説「どんど晴れ」を手がけている小松江里子
さん。配役は未定。
以上
先日、上越市の春日山山城跡を散策した際に、城跡公園の売店で目にし、
きになって購入した「天地人」が大河ドラマになると知り、驚いています。
直江兼続は上杉謙信の猿ヶ京の命名伝説でも登場する知恵者として知られ
る人物でそう言う意味では猿ヶ京にゆかりの人物でもあります。
何とか再来年の放送時には関連づけたいですね。
GWウィークの最盛期を迎えた赤谷湖は、なんとか水も満水になり行楽シーズンの体裁を整えた感がある。普通のオフシーズンに関してはいつも6~7部の湖水で済ましているが、GWには最高の晴れ姿で行楽客の目を楽しませてくれている。今年は記録的な暖冬で、雪解け水独特の酸素を多く含んだコバルトブルーの湖水と言うわけにはいかず、このような澄んだ真っ青な色ではじめから満水の状態であるというのも珍しいことではないか。またつい2~3日前まで丸坊主のようだった周囲の山の木々の様子もここに来ていっせいに新芽が芽吹き始めた。
これから梅雨時の数ヶ月は赤谷湖は年間で一番美しい姿になる。その後夏季に入ると下流域のためにダムの水は減る一方となる。ダム湖の宿命として仕方ないわけではある。ダムの名前自体は地名を取って相俣ダムと命名された。湖の方も「相俣湖」となるところ、猿ヶ京温泉から異論が出たため、河川の名前を取って赤谷湖と命名されたと言う。現在ダムサイドのほとりには、湖に突き出した形で展望台が設けられている。そのの一角に「日本ダム湖百選」と言う石碑が建てられている。平成17年に指定されたとのことだ。湖の規模のわりにダムの大きさが小さいのは、赤谷川の非常に狭隘な渓谷を利用してこのダムは建てれているからである。昭和30年に完成しているが、すぐさま水漏れが表面化し、水漏れ防止の工事を何年かかけて完成させている。したがってダム自体は長さはあまりないのだが、使用されたコンクリートの量は相当なものになっていると思われる。