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「なから」感動する本

最近聴いてんの・・・

2004.02.15~18バリ島

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    2004.02.15~02.18と4日間、インドネシアのバリ島に研修旅行で言ってきました。実質3泊でしたが、ウブド・コマネカリゾート2泊、ヌサドゥア・アマヌサ1泊と言うスケジュールでしたが、アマンリゾートのアマンダリ、アマンキラ、フォーシーズンホテルのサヤンなど代表的なスモールラグジャリーホテルを見学することもできました。極めてまじめな研修旅行でした。

旅行作家の会年に一度の大集会

 旅行作家の会とは…
 旅行作家の会は昭和43年(1968)に結成された プロライターの集まりで「旅行作家」という名 称をはじめて考案使用した会であります。

 6月7日(火)池袋・ホテルメトロポリタンでこの旅行作家年に一度の大集会が行われました。

 第一部 講演とシンポジューム「旅館の料理について」

 講演は「日本人の食と今なぜ山野草か」を元共同通信記者で山野草研究家の篠原準八さんが

 パネルディスカッションは5名の旅館のパネラーにそれぞれの旅館の料理について語ってもらう趣向。

 海の魚、海草、塩、山の山菜、獣肉、農作物それぞれ語られた。

 山梨の旅館の人が「この春は鹿が昨年山の笹が全部枯れてしまったせいで、山菜を全部食べてしまった」「鹿の毛が全部抜けてしまう奇病が流行っていて、しとめた鹿の半分は料理に使えず、穴を掘って埋めなければならなかった」と言われたことが、恐ろしいこととして印象に残りました。

 第二部 懇親会では、またS温泉観光協会のMさんに会いました。Mさんは東京での催し物には全てと言ってほど参加しています。熱心ですね(^^;)。

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旧三国街道(治部歩道)合同視察-4

 大般若塔から法師温泉まで国道を突っ切って下っていく道を通称「九十九曲がり」と言います。この道もブナ林が保存されているいい道です。

 ゴールの法師温泉では玄関先に冷水でラムネが冷してあり、T氏のご好意で喉を潤すことが出来ました。

 治部歩道(新道)は明治時代に猿ヶ京の住民が永井の宿が三国街道の要所としてあまりにも繁栄していたために、そこを通らずに直接三国峠に出られる道を開削したと伝わる道です。 

言わば「明治六年の地域活性化策」だったわけです。今回はその「治部歩道(新道)」の跡を辿ってきたわけですが、そう思うとわれわれのご先祖様たちの苦労がしのばれて感慨深いものがあります。

 行程を歩いてみての感想は、林間コースが殆どで、開けているところは上の山の鉄塔付近のみです。景色を楽しむコースではありません。ただ、植生の変化や炭窯の跡、動物の痕跡、林業の営みなどを観察してながら歩くには良い道だと思いました。

なお、この様子は左のフォトアルバム(2005.05.28旧三国街道(治部歩道))にも収録してありますので、よろしかったらごらんください。

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旧三国街道(治部歩道)合同視察-3

標高1,000Mを越える位からミズナラの雑木林からブナ林に植生が変わって来ます。

そのブナ林を下って行くと大般若塔のところにでます。ここまでの道のりがだいたい明治時代(明治6年)に猿ヶ京の村人達によって開削された「治部新道(歩道)」のあとです。

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旧三国街道(治部歩道)合同視察-2

最初の上の山までの急坂は、かなりきつい登りとなっており、ピクニック気分の支度では、はっきり言ってやばいです。登山用の仕度(ズボン、登山靴、ストック(杖)、虫除け、帽子)が必要になります。

この急登の後の行程はおおむね、ながらかな林間の山道が続きます。

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旧三国街道(治部歩道)合同視察-1

 猿ヶ京から旧三国街道の途中、大般若塔に抜けるルート「治部歩道」を視察する赤谷プロジェクト地域協議会主催の催しに参加しました。猿ヶ京なんちゃって山岳会のメンバーから4名の有志が参加し、その健脚を披露しました。行程は猿ヶ京温泉の奥、牧草地跡(うだっぱら)のところから上の山、唐沢山の山中を進み、旧三国街道の大般若塔のところ出て、そこから九十九曲りを法師温泉、準会員?のT氏の宿までと言う4時間強の道のりです。

 写真は出発点の旧牧草地(うだっぱら)を上から見た光景です。昔はここで小学校のスキー教室が開けれ、お昼には本格的なジンギスカン料理を楽しむことが出来ました。右奥のピークは吾妻耶山になります。

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旅の日

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江戸時代の元禄2年の3月27日(旧暦。新暦に換算すると5月16日と言う。)、松尾芭蕉は奥の細道の旅に出発したと言います。『月日は百代の過客にして行き交う年も亦旅人なり。(ツキヒハ ハクタイノカカクニシテ イキコウトシモ マタ タビビトナリ)』

この漢学の教養のひけらかし感がたまりません。

日本旅のペンクラブの「旅の日」の会に参加してきました。場所は池袋はメトロポリタン。爽やかな5月の風に吹かれながら会場いりし、大いに語り、飲んで参りました。

芭蕉の奥の細道はあまりにも有名だが、高校の古文の教科書で習った時から漢文調の教養主義が鼻について、好きになれませんでした。松島、象潟、山寺とその後を訪ねたこともあるが、暗く重い壮絶な印象しか残っていません。

逆に姫神せんせいしょんの『奥の細道』は大好きでCDを何回も聞いています。文学を理解するのも年季が必要のようだし、時代が変われば当然、理解出来ない感性があるのかも知れません。「芭蕉が・・・」などと言うといかにもアカデミックに聞こえ、なるほどなるほどと来るが、その奥の細道の旅の本当の心境はわかっていない人が多いのではないでしょうか。あの距離を徒歩で歩くことに牧歌的なのどかな姫神の演奏する「奥の細道」のイメージが思い浮かぶのですが、本当は野ざらし、行き倒れ覚悟のどちらかと言うとこの世とあの世の境をさまようような、陰惨な旅ではなかったでしょうか。

以上がぼくの「奥の細道」に抱いている気持です。

この「旅の日」の会のイベント自体は、とても有意義な会で出来れば来年も参加したいと思います。

猿ヶ京代々神楽、ミラコスタで踊る!

5月12日(木)東京ディズニィー・シーに隣接するホテルミラコスタで、日本旅行のワークショップがありました。このワークショップとは日本旅行の社員や提携販売店の店員に対して宣伝することです。群馬県を代表するアトラクションとして猿ヶ京に伝わる代々神楽が演じられました。演目は大黒様とひょっとの動きがユーモラスなお神楽です。演奏も太鼓と笛の生演奏で本格的な神事として厳かな中にも、面白みのある催しものになりました。この神楽は明治時代にこの地方に伝わったもので、演じることが出来る家も決まっていて、生津、田村、林、笛木などの家の者だけが演じることができます。

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新治村観光協会通常総会

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新治村観光協会の通常総会が4月26日、コープシャトウ猿ヶ京で行われました。事業報告、決算報告、事業予定案、収支予算案の承認、役員改選も終始なごやかな雰囲気の中、終了しました。お疲れ様でした。

安中榛名のふるさとの森づくり

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向かって左の写真が当館前の斜面です。この斜面を「緑多い昆虫の森にしたい」と色々と計画しているのですが、宮脇昭先生の『いのちを守るドングリの森』を読み、JR長野行き新幹線の安中榛名駅の前のびょうヴェルジェの造成地にできた斜面をポット苗で植林したことが書かれていたので早速行ってきました。植林後三年たったのが右の写真です。冬と言うこともあり、葉が落ちていたので何となく侘しい感じがしました。またグリーンシーズンに機会を見て行って来ようかと思います。ご覧の通り斜度も似たり寄ったりなので、うちの前の斜面でも出来ないことはないと思いました。

わたしの仕事場

pic_0185最近机まわりを模様替えしました。風水の感覚を取り入れてみました。