猿ヶ京雪景色ー5
早朝の朝日を浴びる赤谷湖です。相変わらず水位は低く、沼のようでもあります。対岸ののこぎり山の山容は雑木林の葉も落ちて、雪の積もりたる様は息を飲みます。
早朝の朝日を浴びる赤谷湖です。相変わらず水位は低く、沼のようでもあります。対岸ののこぎり山の山容は雑木林の葉も落ちて、雪の積もりたる様は息を飲みます。
12月22日は冬至。冬至と言えば、柚子(ゆず)湯です。
うちの大浴場の浴槽に柚子を和手拭いで作った袋に入れたものを浮かべると見事な香りが漂ってきます。スタッフの方から大きな柚子を寄附してもらい浮かべています。お湯自体にも温泉の成分が含まれており、さらに柚子の香りの沈静効果もあり、風情ある年の瀬を楽しめると言うものです。
この手向山と言うモミジは葉の形に大きな特徴がございます。一般的なモミジはカエルの手のような形をしています。それでかつてはカエデのことをカエルデと言っていたのですが、この手向山の葉はささくれだっております。
百人一首に菅家の
このたびは ぬさもとりあえず 手向山
もみじの錦 神のまにまに
と言う歌が取られています。このモミジの名の由来かもしれません。
今年の紅葉は例年に比べて遅めです。十一月に入り、ようやく玄関先にある中庭のモミジが紅葉し始めました。このモミジは手向山(タムケヤマ)と言う種類なのですが、いち早く紅葉しました。
猿ヶ京温泉に秋が訪れました。日1日と深まってまいります。秋の野を犬と散歩する時、万葉集に収められた額田王(ぬかだのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)の次の和歌が思い浮かびます。しばし古代近江朝廷の時代にタイムトラベルして見ましょう。
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや君が袖振る
額田王(ぬかだのおおきみ)
むらさきのにおえる妹を憎くあらば
人づまゆゑに 吾恋ひめやも
大海人皇子(おおあまのおうじ)
あかねさす、とは明け方の朱色が射してくることらしいです。(額田王が)紫野と言う御領地の野を夫である天智天皇をはじめ宮廷に仕える者達が行進して行くと、こともあろうに天皇の弟で、元カレの大海人皇子が(私に向かって)大きく手を振っています。(警護の者達が見ている前で。)
これに対する大海人皇子の歌は、紫の匂えるあなたをもし憎く思っていたならば、兄の妻なのに関わらず、恋しく思ってはいないだろう、と言う意味の様です。これは宮廷で狩りでも行われた後の懇親会の即興歌で相聞歌風に作られたと言われています。今で言えば飲み会で意気統合した二人がカラオケで思わせぶりな歌を唄い合うようなものだったのかもしれません。天智天皇も大海人皇子も当時の上流階級の常で沢山の妻妾を侍らせていたので、当人同志は余り深刻に作った歌ではないのかもしれません。それでもこの歌は万葉集の中の白眉として後世に伝わっています。
写真は県道相俣水上線沿いのすすきの野原です。
尾瀬ヶ原に鳩待峠から入ると、山の鼻まで下って行きます。つまり最初は下りの登山になります。そして日帰りの場合、木道を行けば行くほどひき返してくる帰りの距離が遠くなります。そして最後は鳩待峠の坂道を登り、登山を終了します。
草紅葉とやらを期待しての尾瀬ヶ原行きではありましたが、天候も曇り原の葉の色もご覧の通りでした。紅葉と言えば写真右側の通称牛首の峰伝いの木々が紅葉、黄葉していました。都会の人は紅葉を喜びますが、山の人間にとっては冬の到来を告げる一里塚のようなもので、一層寂寞の思いを強くします。
湿原に敷設された木道を右側通行で行くと、独特の心境に陥ります。頭がぼんやりとしてきて、眠くなってきます。
いずれにしても、今年は初夏のニッコウキスゲの当たり年でした。まがりなりにも秋の草紅葉も鑑賞できました。来春には水芭蕉の咲く頃、訪れるつもりです。それで私の尾瀬ヶ原探訪は一区切りと考えております。
池塘(ちとう)のオゼコウホネ?かヒツジグサ?が紅葉しています。